私は大正9年(1920年)に弁護士の家庭に生まれました。3歳の時に親父の事務所が暴力団に占拠されてしまってね。大阪市の下請けをしていた鳶職の下請代金を親父が差し押さえたのが理由…それがいわゆる暴力団で、「300人の子分が飯食えん」と言って乗り込んできたのです。
兄弟がみな親戚の家にそれぞれ疎開させられて…私は祖母の住む両親の故郷、和歌山県の桃山町(当時は安樂川村神田【あらかわむらこうだ】といった)に避難さされました。紀ノ川の支流の支流で、桃とみかんの生産だけの田舎暮らし。抗争は2ヶ月で終わり、兄弟はみな大阪に戻りましたが、当時5人兄弟の末っ子だった私は(後に妹が生まれた)そのまま残されて小学校に上がるまでそこにいました。
ですから私は幼稚園を知りませんし、まぁ…生まれた時からやんちゃでしたけれども、妙に意固地なこの私の性格は、紀州の山奥で育ったためかとも思います。えっ、徳川吉宗に似てるって?嬉しいことを言ってくれるじゃない!
そうして、西天満小学校に入学しました。何しろ田舎育ちの粗野で奔放な性格が、当時からガキ大将でね…喧嘩が強くて、近所の子分を引き連れては悪戯ばっかりやってました。老松町通りの家々に勝手に侵入したりしてね。田舎で育ったからチョコレートも知らなかった。それで、初めて食べた時には「こらぁ、旨いもんやなー」と感動して、口の周りにベタベタつけて食べたことを覚えています(笑)。