日本消費者連盟の職員時代(1987) スペインで開かれたIOCU(国際消費者機構)の大会に出席。 会議後グラナダを訪れ、アルハンブラ宮殿をバックに撮影。 |
友人からは、わたしがNGOばかり探しているので「変わり者」扱いされていましたが(笑)、まぁ自分の好きなことができればいいのだという信念で、結局、東京に本部のある日本消費者連盟に就職することになりました。大学を卒業して、初めての独り暮らしです。
日本消費者連盟というのは任意団体で、当時は単なる非営利団体としてはかなりの政治的圧力をもっていたんです。あの『買ってはいけない』という本を執筆した船瀬さんも日本消費者連盟のご出身なんです。お辞めになってフリーになってから入ったので、わたしは入れ違いなんですけどね。
ともかく、その頃から産地直送の無農薬野菜を共同購入したり、合成洗剤を使わないで石鹸を使おうとか…そういう環境問題にうるさかったですよね。わたしもそういうことに興味がありましたから、それで暫くの間、連盟の活動に取り組んでいました。
夫と親しくつきあい始めたのはその頃ですね。
ある日、久しぶりに東京で彼と再会して意気投合したんです。それから親しくつきあい始めました。
彼も旅行が好きで「いずれは会社を辞めてアフリカとかを放浪したい…」と言っていたので、「あぁ、気が合うな。この人なら一緒に行けるかな」と思いました。それが結婚のかなり大きな要因でしたよ。お互いに夢を共有できるというのは大事なことですよね。
そんな折、ちょうど彼が栃木の研究所に転勤になって、わたしも仕事でゴチャゴチャあったので、これ幸いに退職してサッサと栃木に付いて行きました(笑)。
結婚して、わたしは英会話の講師を、夫はサラリーマンを続けながら、秘かに(親にも内緒で)世界放浪の旅を温めてました。いったい、どれくらいの資金が要るのか見当もつきません。ただただ、お金を溜めて…1年半後くらい…90年の8月だったのですが、いよいよ「日本を出よう!」ということになりました。
さすがに夫のほうは、本当に会社を辞めるという段になって「いいのかな?」って…もう、辞表を出した後だったのですが「本当に辞めちゃっていいのかな?」って思ったらしいんですけど、わたしは楽天的で「帰ってきたら帰ってきたで、何か仕事を探せば言いじゃない」って(笑)。
夫も基本的には楽天家なんで「まぁ、今のうちにしたいことをしたほうがいいよね」って。「そうそう。大丈夫、大丈夫!!」お互いに戻れない人生の決断を慰めあったわけです(笑)。
でも、彼の両親がパニックでしたね。「何を考えているんだっ!」って。まぁ世間的には一流企業と言われている所でしたし、待遇も良かったですしね。今でもいい企業だと思いますよ。職場に不満があったわけじゃないんですから(笑)。
周囲がビックリしたり、面白がっちゃって…余りにも盛大に送別会をして頂いて、お餞別も頂いたので、「こりゃ、半年は帰れないな。がんばらなきゃな…」って(笑)。お互いに背中を叩きながら「とりあえず出てみようよ」ということで日本を後にしました。それが'90年の8月。わたしが26才の時かな。