体育大会(1981.10.4) クラブ紹介(行進)の前に同期生と(左から2人目) |
北野の忘れられない思い出といえば、3年生の担任が化学の猿田先生で「金八クラス」って言われる位、まとまっていました。本当にいい先生で、いまだに色々とやり取りしています。あと食堂の林さん御夫妻にもすごくお世話になりました。みなさん少なからずそうだと思いますが、わたしは特別かわいがってもらったんです。というのも家が学校の近所だったこともあって、卒業後も体育祭や文化祭の時などに「忙しいから手伝って」と呼ばれて「食堂のおばちゃん」をしてたんですよ。
長靴を履いて、割烹着を着て、ゴムの腰巻きをつけて…大抵は売り場にいましたから後輩からも「おばちゃん」って声を掛けられて。「何よ!」って言い返すと「あっ、先輩!」っていう感じでね(笑)。恩師の先生からも「君、いったい何してるの?こんなところで」ってびっくりされました。
北野高校の東隣に「第2コーポ」というマンションがあるでしょ。高1の終わり頃に、東三国からあそこへ引っ越してきたんです。学校が近くなっていいなと思う反面、校内放送が全部聞こえるんですよね。一度帰宅してから呼び出されているのが聞こえて、また制服を着て行ったり…(笑)。
それまでは塚本駅から通っていたので、人通りの少ない正門のほうから登校してましたが、近くなってからは毎日あの通用門の並木道を走りました。朝は予鈴が鳴ってからでも、走って行って十分間に合うんです。だから、わたしの姿を見るとみんな焦り出して「もうそんな時間?!」って走り出すんですよね。遅刻のバロメーターにされてました。