尼崎に住んでましたから…北野へは越境入学なんですけど。 北野に入って…2年生までは比較的「北野高校生らしい」生活を送ってたんですよ。結構ね…成績順位は「国立コース」にいたりして、ホント。3年生になる春休みに「演劇部が復活した」というハナシを聞きましてね。それまでは、何か事件があってずっと休部状態らしかったのですが…同期の梅沢君が復活させた、と。それで「演劇部に入りたい」って部室を訪ねて行ったら…梅沢の奴「なんでまた、ガリベンの優等生が来たのかなぁ」って思ったらしいですね(ま、そんなに優等生でも無かったンですけどね…)。
クラブとしての活動を復活して2〜3本勉強会をやってから、大阪府の高校連盟の演劇コンクールに出場したんです。確か秋口のことで…市岡が会場だったかな。そしたら、いきなりブロック優勝しちゃいましてね。
『寒鴨』という…寒村の鴨を撃つ猟師のハナシなんですがね。真船豊さんという日本の演劇史に残る劇作家の作品でして…登場人物はせいぜい3人か4人の芝居なんですが。非常に日本の風土に根ざした…テーマ的には当時真船さんがずっと書いてらした一連の作品のひとつなんですけど…地主とか、そういう権力構造から貧しい側の人間を解放しようという短編でして。
北野の高校生とどっかの山の中の鴨撃ち猟師のハナシですからね…ほとんど関係は無いンですけど、えらく感動して演ったのを覚えてますね。その時分は真船豊さんという作家自体が日本の新劇界をリードしていた非常に先鋭の作家で…また、演劇部のリーダーであった梅沢くんが社研にいた人でもあって…その意味では、かなり社会的意識の強い作品だったですね。
それで…われながら、結構イイ線いってる芝居だったんだけど、今度は府下全域の決勝戦(?)みたいなのが年明けにあるということになって。他の学校は2年生が主体だったんじゃないかと思うンですがね…北野だけは、復活したとこだからキャストが全員3年生ばかりだった。結局、参加するとなると全員3年生が出なきゃなんない。さすがに受験もあるんで「そんなバカなことはできないだろう」って。みんなはヤル気だったらしいンですけど、ボクが「止めようよ」って言って…。結局それには出場しなかったですね。今でも元岡なんかに会うとですね「あの時、お前が降りなかったら俺たちは大阪府で優勝できたのに」って言われるんですけどね。
女子部員?
いましたよ。学年で美貌を誇る女性がね。2〜3人はいましたね。彼女達がいたからこそ…辻さんとか周辺がイロイロとね(笑)。マドンナがいました…山口さんとか、井上さんとかね。後から入ってきた1年下の後輩の女性で、早稲田の演劇に来た人もいましたけどね。
ま〜とにかく、相当頑張ってました。面白くって部室ばっかり行ってましたね。そしたら成績が一気に200番くらい下がっちゃって…親が呼び出されて「進学どうすんだ」ってハナシになって。もう「国立」なんてバカなことは言ってられないだろう、早稲田の演劇くらいしか無理じゃないか…ということになって。それからは急カーブ、一直線でしたね。
これは結果的にそうなんだけど、ボクの演劇の原点は北野の演劇部なんですね。早稲田の劇研の同窓会にも行きますけど…やはり、あの北野の講堂が原点なんです(もう、取り壊されるんですってね。)。現在の交友関係もそうですしね。 すべては…北野のアノ部室から始まった。人生の間違いはね(笑)。