「ボーズ」(水鳥先生)に教わった英語というのがね…たとえば英語で「座れ」は「sit down」だけど、スィットダウンと言うのは正しい英語なんだけれど、もし「sit down」という単語が出て来なければ「chair please」と言え、と。それも出て来なければ椅子を持ってきて「please!」って言えばいい…それで判る、とね。
英語には表現の仕方はいろいろある「これ1つきり」と思っちゃ駄目だ…そう、ボーズはしょっちゅう言っておられたのですが、最近つくづくあの先生の言う通りだなと感じますよ。外人に説明する時にね、1回じゃ分からん時に何回もいろんな方向から説明したら相手に通じるでしょう。ああぁいうボーズの教育はたいへん良かったと思いますね、今でも。
そのころ会話はね、ジョン・ケル・ゴルディーというのがいて…渾名はベッドモンキーだったかな。彼が1年生、2年生の会話をやってました。順番に当てて「Good morning!」から「How are you?」と…。
戦争が起きた日…日本がハワイの真珠湾を攻撃した昭和16年12月8日にね…僕らは3年生だったんです。朝9時頃、朝礼で宣戦の大詔が発令されたといわれた後、教室でボーズが「戦争が始まって、こんなとこで授業しているようじゃあかん。アメリカの工業生産力というのはもの凄いものがあるから、全校生徒が全員パイロットになって戦わないと日本は勝てない」と言ってましたよ。
僕は当時、ずいぶん変わったコトを言う先生だなと思っていましたが、事実でしたね。あの先生の言う通りでした。そう言う意味でもボーズに英語を習って良かったと思う。戦争中も北野はずっと英語の授業を減らしもしませんでしたし、ギョロが来てゴチャゴチャうるさいこと言ってましたが…それでも英語の授業はキッチリやってましたよ。だから…今から思うと北野の英語教育はすばらしかった。うん。
「僕は英語を勉強してましたけど、ドイツ語は初めてです。ただ、不思議に思うから聞いているんです…」すると「いや〜君はよっぽど英語を勉強したんだな」って、嫌みを言われちゃった。英語とドイツ語とは似てるところがあるんでしょうね。それと、北野で教わった英語のレベルの高さ、かな。
その後ずっとドイツ語をやっていまして、大学もドイツ語で法律もドイツ語でやってました。それで傑作なんです。
松江高校の時に高橋というドイツ語の『存在論』で有名な先生がいてね。丁度そのころ戦争がすんで、ビンデルバントっていう人の『哲学入門』を習ったんですが…その先生はドイツ語で哲学を教えるんですよ。日本語で聞いても判らない哲学を…(英語で聞いても判らないけど)…ドイツ語で聞いたらもう一つ判らない。
それでね。ドイツ語で彼岸のことを「ダ・リューバ」っていうんですよ。死後の…向こう岸の世界のこと。カントがどうの、誰がどう言ったのと…いろいろ習った。それで僕は「ダ・リューバ」と言うのを難しい哲学用語だとばかり思っていた。
後年、ドイツでタクシーに乗った時にね。運転手が僕に「ダ・リューバ?」って聞くんです。驚いちゃってね。タクシーの運転手ごときが「ダ・リューバ」なんて難しい哲学用語を口にするもんだから…何たるコトかと思ったね。本当に驚いた。でも「あっちか?」くらいの意味だったんだね(笑)。
また、公衆電話をかけようとしたらね。運悪く故障で電話が壊れていた。そしたら5〜6歳くらいのドイツ人の子供がそばに寄ってきて「ディングアンジッヒ」って言うんです。これもカントの言葉で「物体そのもの」とかいう哲学用語なんですね。それを習っていたもんだから…ところが、それを子供ごときが「ディングアンジッヒ!」って僕に言ったでしょ。作動しない電話機のことを「それは『モノ自体』だから…」ってね。この時も本当に驚いたよ。でもね…考えてみれば普通の日常ドイツ語なんですよ。僕がそれを哲学用語だとばかり思っていただけで(笑)。