長谷川 | 2月1日に毎日新聞社で選抜校の選考会があった。ほとんどの選手は新聞社へ出かけて結果を待っていた。ところが北野はなかなか決まらない。あの時は梅田のお父さんが選考委員の一人だったね。 |
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梅田 | そうだよ。なかなか決まらないので新聞社の待合室に入ってほたえていたらオヤジに叱られた。「品がない」って。 |
三川 | 前年の秋季大会で優勝した大鉄は早く決まっていた。北野は準優勝だったが、芦屋、海南などと一緒でなかなか決まらない。決まったのは一番最後じゃなかったかな。いや、最後の16番目に決まったのは徳島商業だったか。 |
山本 | 関東大会で優勝した慶応二高も早く決まったね。でもこの慶応二高は芦屋に負けちゃった。結局、夜遅くに北野の出場が決まったが、それほど感激はしなかったね。 |
梅田 | オヤジが選考会から夜遅く帰ってきて「出場が決まったぞ」と教えてくれたが「ふーん」と返事しただけだった。そしたらオヤジが「みんなに電話で知らせてやれや」と言うので、仕方なく電話したが、みんな眠そうな声で「うん」と言うだけ。 |
山本 | 当時は函館工業なんてのは乗り継ぎの乗り継ぎで…3日がかりで甲子園までやって来るんだけどね。甲子園では遠来のチームに対するほど拍手が多かったね。 |
梅田 |
選抜出場が決まったのはいいが、ボールもバットもユニフォームもなかった。 多湖の家がメリヤス屋で…ユニフォームを寄付してくれた。お金がいるというんで帽子を持ってカンパを募ったが「学生たるものがそんなことをするもんじゃない」と学校から文句が出たよな。 |
市石 | 基礎体力を付けるために堤防をよく走ったが、あれはよかった。当時は基礎体力造りの練習なんて発想はあまりなかったね。 |
長谷川 | 朝日新聞の松葉さんという人が提唱して基礎体力づくりの練習方法を取り入れた。冬季練習を北野のグラウンドでやることになった。 |
梅田 | お礼代にするために参加費を取って…浪商、市岡、高津、大鉄などに声を掛けて無理矢理引っぱり出したが、彼らは迷惑がってすぐにやめてしまった。 |
市石 | ランニングだけではなしに腹筋や背筋の運動もしたが、当時としては珍しい練習方法で、朝日の松葉さんはこれで大いに名を上げた。 |
長谷川 | 当時はちゃんとした応援団というのはなかったね。勝手に袴をはいてワイワイやっていた。 |
市村 | ラグビーの天高戦で応援していた連中が中心になって応援団を結成したんだ。抽選会には三川マネージャーが行ったが「日川高校の札を引いて欲しい」とみんな願っていた。北野と日川がDクラスだと言われていたから。結局…一番弱いと言われていたもの同士が当たって…それから調子に乗った。 |
三川 |
抽選会では北野は大鉄とが並んで札を引くことになっていて…2つ札が出されて、ボクはすかさずパッと大鉄の前に置かれた札を取った。 あとで梅田のオヤジさんに叱られたよ「自分の前の札を取るのが礼儀だ」って。結局、でもそのおかげで…大鉄が引いたのは岡崎の札で、ボクが引いたのは日川だった。 下馬評によると日川が最下位、北野はブービーだった。一日でも長く甲子園に残って銀シャリにありつきたいと思っていたので、日川を引くことがみんなの願望だった。 それで、初戦の相手が日川に決まって…思わずガッツポーズをしてしまったよ(笑)。抽選会に来ていた下級生たちも飛び上がって喜んでね…あとでまた梅田のオヤジさんから叱られた。品がないと言って…(笑)。 |