熊野神社参道いまむかし (左:昭和30年代〜伐採された切り株の列 /右:現在の様子) |
笹部新太郎ゆかりの桜(4)
紀州権現平の桜
(和歌山県西牟婁郡白浜町才野)
小林一郎
(78期)
神社名を記した石柱 (桜花型の底部からは「桜の宮」と呼ばれた 往時の華やかなりし雰囲気が伝わってきます) |
樹形の良さ、成長力の早さ、花弁の厚さ、実の大きさ重さ、病害虫に対する強さ、どれを取っても素晴らしく、新太郎は『櫻男行状』に「その花の佳(よ)さは私の知るかぎり群を抜いていた」「この桜こそ今日以後の日本の桜の品種改良の基礎となるものと密かに思い定めた」と絶賛していましたが戦後の食料増産のためことごとく伐採されたと聞いて「おそらく、もう日本の何処にもこれに代わるほどの桜は見当たるまいと思うにつけただ茫然とした。」と記しています。
西宮から故郷へ里帰りした紀州権現桜の苗 |
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