松村 博
(74期・大阪市都市工学情報センター常務理事)
橋の長さは656mですが、幅は一挙に拡げられて20mになりました。約2年の工期と230万円の工費が投入されました。そして橋の橋脚を共有して、淀川の水位を調節するための可動堰が橋の下に作られました。
この橋は悲惨な光景を目撃することになりました。太平洋戦争の末期、アメリカ軍の直撃弾をうけて床板や橋桁が損傷を受けましたが、ちょうど橋の下に避難していた人々に多数の犠牲者がでました。橋の南詰に祀られている観音像は、それらの人々を供養するために建てられたものです。
損傷した長柄橋は、戦後橋桁の一部の取り替えや床版の打ち換えなどの補修工事が行われ、昭和25年には再び吹田・高槻方面の連絡道路の機能を取り戻しました。
しかし橋脚はあまり手を加えられないままでしたから、機銃掃射などによってできた弾痕が無数に残っていて、その凄まじさを長く伝えていました。