年 | 月.日 | 講師 | 講師の肩書 | 講演の内容または題名 |
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1949 (昭和24) | 10.21 | 原 随園 | 京都大学文学部長 | |
1950 (昭和25) | 2.23 | 南部忠平 | 毎日新聞記者、元オリンピック選手 | |
11.24 | 末川 博 | 立命館大学総長 | ||
1951 (昭和26) | 6.22△ | 赤堀四郎 | 大阪大学教授 | 化学の話 |
浅田常三郎 | 大阪大学教授 | 人工降雨について | ||
11.2 | 斎藤栄一 | 毎日新聞論説委員(41期) | ||
12.4 | 福川 | 人権擁護委員 | ||
1952 (昭和27) | 4.24 | 国際情勢について | ||
6.29△ | 瀧川幸辰 | 京都大学教授(22期) | ||
11.6 | 岩野次郎 | 府保健体育課長 | オリンピックの話 | |
11.17 | 前芝確三 | 立命館大学教授 | ||
1953 (昭和28) | 2.12 | 吉田義三 | 大阪市立大学数授 | 国除情勢の現状について |
10.19△● | 湯川泰秀 | 大阪大学教授(44期) | 化学の話 | |
1954 (昭和29) | 6.27△ | ? | ||
1955 (昭和30) | 7.1 | ? | ||
9.22 | 森繁久彌 | 俳優(45期) | ||
1957 (昭和32) | 6.23△ | 藤田和夫 | 大阪市立大学助教授(50期) | 地質学の話 |
6.26 | 長沖 一 | 作家 | わが生い立ちと文学 | |
12.1 | 須田国太郎 | 画家 | 今日の美術について | |
1958 (昭和33) | 2.21 | 朝山新一 | 大阪市立大学教授 | 純潔教育について |
6.22△ | 菊池 徹 | 通産省地質調査員(52期) | 南極観測について | |
1959 (昭和34) | 2.2 | 黒田了一 | 大阪市立大学教授(41期) | 憲法と国民生活 |
6.21△ | 野間 宏 | 作家(45期) | ||
1960 (昭和35) | 6.19△ | 宮本正太郎 | 京都大学教授 | 天文学の話 |
6.25 | 田畑 忍 | 同志社大学元学長 | 安保問題について | |
1961 (昭和36) | 6.25△ | 川井直人 | 京都大学助教授(52期) | 日本列島の成因について |
1962 (昭和37) | 6.24△ | 瀧川幸辰 | 京都大学名誉教授(22期) | 現代日本の当面する諸問題 |
1963 (昭和38) | 10.8△● | 生島遼一 | 京都大学教授(35期) | フランスの国民性 |
1964 (昭和39) | 6.21△ | 山根徳太郎 | 歴史学者(23期) | 難波の宮 |
1965 (昭和40) | 6.20△ | 木崎国嘉 | 日本赤十字病院医師(37期) | |
1966 (昭和41) | 6.19△ | 村川行弘 | 本校社会科教諭 | 田能遺跡の意義 |
1967 (昭和42) | 6.25△ | 小松彦三郎 | 東京大学助教授(66期) | |
1968 (昭和43) | 6.23△ | 上田宏範 | 橿原考古学研究所員(52期) | 前方後円墳の謎を解く |
1969 (昭和44) | 6.22△ | 手塚治虫 | 漫画家(59期) | 日本人と映像文化 |
6.26 | 井上 清 | 京都大学教授 | 現在における大学紛争の歴史的位置 | |
1970 (昭和45) | 6.21△ | 木崎国嘉 | 日本赤十字病院医師(37期) | |
1971 (昭和46) | 6.20△ | 山根徳太郎 | 歴史学者(23期) | |
1973 (昭和48) | 10.9△● | 手塚治虫 | 漫画家(59期) | |
1974 (昭和49) | 9.22△ | 藤田 田 | 日本マクドナルド社長(57期) | 21世紀への挑戦 |
1976 (昭和51) | 1.19 | 犬養 孝 | 大阪大学教授 | 万葉の心 |
9.19△ | 黒田了一 | 大阪府知事(41期) | ||
1977 (昭和52) | 9.20△ | 山本次郎 | 弁護士(62期) | ぼくらのころの北野 |
1978 (昭和53) | 6.13△ | 端 信行 | 民族学博物館助教授(72期) | アフリカ文明を探して |
9.29 | 真崎光晴 | 朝日新聞外報部(57期) | 世界の街角で出会ったことから | |
1979 (昭和54) | 6.17△ | 森 南海子 | 服飾デザイナー(64期) | おしゃれの履歴書 |
1980 (昭和55) | 6.16△ | 守山史生 | 大阪学院大学数授(57期) | サハラの印象 |
1981 (昭和56) | 6.15△ | 柴田 仁 | 音楽評論象(50期) | 音楽を見る? |
1982 (昭和57) | 6.14△ | 森 毅 | 京都大学教授(58期) | 北野生と自由 |
1983 (昭和58) | 11.2△● | 早石 修 | 大阪医科大学学長(50期) | バイオテクノロジーの現状と未来 |
1984 (昭和59) | 6.18△ | 古木睦美 | 弁護士(75期) | 現代のビジネス界における国際弁護士の役割 |
1985 (昭和60) | 6.17△ | 脇田 修 | 大阪大学数授(62期) | 近世大阪とその文化 |
1986 (昭和61) | 2.14 | 福永光司 | 関西大学数授・元本校教諭 | 北野高校に勤めた頃 |
6.16△ | 吉良龍夫 | 琵琶湖研究所長(49期) | 虫の眼と鳥の眼 | |
1987 (昭和62) | 12.2△ | 木戸 湊 | 毎日新聞社会部長(70期) | 新聞記者の本音 |
1988 (昭和63) | 6.22△ | 柏木哲夫 | 淀川キリスト教病院医師(70期) | 現代人の生と死 |
鶴*井通眞 | 作家(70期) | 高校生活の意味 | ||
1989 (平成元) | 6.19△ | 山西弘一 | 大阪大学助教授(72期) | ウイルスの話 |
1990 (平成 2) | 6.18△ | 森繁久彌 | 俳優(45期) | わが道に頂上はない |
1991 (平成 3) | 6.18△ | 加地伸行 | 大阪大学教授(67期) | 中国人の考え方 |
大村皓一 | 大阪学院大学教授(68期) | コンピューターグラフィックスが拓く新しい世界 | ||
11.2 | 畑野研太郎 | 日本キリスト教海外派遺協力会医師(79期) | ともに生きる―バングラディッシュのハンセン病の患者さんとともに― | |
1992 (平成 4) | 6.15△ | 藤田和夫 | 大阪市大名誉教授(50期) | アルプス・ヒマラヤからの発想 |
1993 (平成 5) | 6.15 | 生越久靖 | 京都大学教授(65期) | 化学を志す若人へのメッセージ |
9.22 | R.ホフマン | コーネル大学教授 | 若い人達へ | |
10.30△● | 森 毅 | 京都大学名誉教授(58期) | 時代の流れで | |
1994 (平成 6) | 6.13○ | 道浦母都子 | 歌人(78期) | 青春と短歌 |
松田 卓也 | 神戸大学教授(73期) | ブラックホールとX線星 | ||
1995 (平成 7) | 5.30△ | 阿辻哲次 | 京都大学助教授(82期) | 現代中国の文字風景 |
家 正則 | 国立天文台教授兼東京大学教授(80期) | 宇宙の過去を見る | ||
1996 (平成 8) | 6.5△ | 木戸 湊 | 毎日新聞社東京本社編集局長(70期) | 日本人の忘れ物 |
1997 (平成 9) | 6.10△ | 富田昌宏 | 神戸大学助教授(78期) | 経済学と歴史学のはざまで〜経済史の効用〜 |
中原秀一郎 | 朝日放送アナウンサー(84期) | 言葉の大切さ | ||
1998 (平成10) | 6.8△ | 正岡 徹 | 大阪府立成人病予防センター顧問(63期) | 骨髄移植と骨髄バンク |
中江要介 | 元駐中国大使、三菱重工業顧問(53期) | 21世紀に日本は生き残れるか | ||
表中の記号 | ||||
◎=創立記念日、☆=海軍記念日、△=文化祭の講演を示す。 ●=周年の祝賀事業での記念講演を意味する。
※卒業生の方々のご協力を得て、かなり多くの空白を減らすことができました。けれども完全には程遠く、なお今後の課題として残っています。 |