【太陽光エネルギーは未来の基幹エネルギーになりうるか?】
太陽電池が生み出す電力が、現状の火力や原子力に匹敵しうる量を賄えるのかという議論がある。特に日本人の間では、それだけの太陽電池を敷き詰める場所はどこにあるのか、そんなことは不可能だ、と議論を打ち切ってしまう人が多いようである。
理論的には、日照条件のよい地中海に浮かぶシチリア島の全土に、現状の能力の太陽電池を敷き詰めれば、ヨーロッパで消費する全ての電力を賄うことができるが、人が住み産業があり多くの農産物を生み出すシチリア島に、実際に敷き詰めるわけには行かない。
しかし目をもう少し南に転じると、そこには広大なサハラ砂漠が広がる。もちろんそれだけの距離が離れると、送電のコストは嵩む。しかし、それはコストの問題であって技術的に不可能な問題ではない。
▲エネルギー源の推移と未来予想 (ドイツ気候変動評議会による) |
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※下から、石油・石炭・天然ガス・原子力・水力・旧来の植物由来(バイオマス)技術・新規の植物由来(バイオマス)技術・風力・太陽光・太陽熱・その他持続可能エネルギー・地熱 |
この図は、ドイツ連邦政府の諮問機関である、地球規模の変動に関する評議会(WBGU)が2003年に作成したものである。西暦2100年には太陽電池の生み出す電力量を現在の1000倍以上、世界の総消費電力の70%を太陽光で賄うことを目論んでいる。
太陽電池の価格の歴史は、世界の総生産量が10倍になるにつれ半分になるという記録を刻んできた(脚注*参照)。 1000倍になれば価格は8分の1になる計算で、現状の火力に匹敵するコストになる。将来石油や天然ガスの燃焼が制限され、原子力技術の開発が足踏みした とき、太陽電池技術を握るドイツが世界のエネルギー資源の主導権を握る、それがドイツの思い描いているシナリオである。
[脚注*] http://www.eupvplatform.org/fileadmin/Documents/vision-report-final.pdf→p23を参照。
▲米国第45代副大統領アル・ゴア氏 地球温暖化問題について、1970年代から世界的な啓発活動をライフワークとして行っている。その講演の模様をドキュメンタリー化したのが映画『不都合な真実』(2006公開)。これら一連の環境啓蒙活動が評価され、彼はIPCCとともに2007年ノーベル平和賞を受賞。 |
ドイツが将来エネルギーで大国間の主導権を握る手段として、太陽光発電で世界をリードしていくことを国策として定めた理由が、多少なりとも理解いただけ たであろうか。また、技術がまだ見通せる形になっていない、高速増殖炉や核融合を選ばず、コストを除けばほぼ技術的に解決の見通しが立っている太陽光発 電・太陽電池を選ぶ辺りが、何かにつけて実践的なドイツ人らしいところとも言える。
奇しくも今年のノーベル物理学賞・化学賞の二賞は、ドイツの公立研究所の教授が選ばれた。太陽電池の技術には直接関係ないが、いずれも工業製品の製造技 術に密接に関連のある成果が評価された。また、ノーベル平和賞では、地球温暖化対策に取り組む活動が評価された。何れも、太陽光エネルギー推進というドイ ツ国民の選択を、間接的に勇気付けるものとなった。
【オランダは?】
▲リアルタイムに発電量を表示する電光掲示板 ※ECNにて撮影 |
さて、ドイツ人よりさらに実践的なオランダ人はどうかというと、彼らはまだ太陽光発電の現状のコストに満足していない。研究には多くの支出を続けている が(そのおかげで筆者も飯が食えている)、一般消費者に市場拡大のための負担を強いる、フィード・イン・タリフ制度の導入は時期尚早と考えているようだ。 一方で、オランダの投資法人がドイツの新興太陽電池メーカーの大株主としてガッポリ儲けていたりして、やることはなかなかあざとい。
実を言うと、筆者の研究グループも、多くの知的成果やノウハウをドイツの太陽電池メーカーや製造装置メーカーに販売しており、ドイツの国策である太陽電 池技術の下支えをしている。我々の成果の販売先候補は欧州内外を問わずどの国にもオープンだが、急激に市場が成長するドイツの比重が結果的には突出して大 きい。そこには、大国に囲まれた小国が、国際社会を生き抜くためのしたたかさがある。
【そして日本】
日本の太陽光発電は一頃の勢いはどこへやら、ここ3年ほど市場は停滞気味である。経済官僚や財界にとってのエネルギー源開発の国策は、相変わらず原子力 のようだ。プルトニウム高速増殖炉や、核融合技術の実現を目指して技術開発に重点を置いている。一方で、大国としての自覚があるのかどうか、エネルギー源 で国際政治の主導権を握るつもりがあるのかどうかも疑問である。政治家や官僚は国策の重要性を世論に訴えることもなければ、世論も国策に対して冷淡なもの だ。
筆者自身は、二酸化炭素濃度が必ずしも地球温暖化に大きく影響しているとは思わないが、少なくとも、国際公約である2010年におけるCO2排出量マイナス6%が危機に瀕している今、その対策について日本の政治家が積極的なメッセージを発しないのは、国際的には不信を呼んでいるし、日本の今後の国際社会の中での信用問題にも関わることである。
2010年のマイナス6%を具体的にどのように実現するかを語らずして、2050年にマイナス50%と言っているだけ(「美しい星50」)では、スロー ガンだけ唱えて実質やる気はないな、ととられても仕方がない。日本に、大国として主導権を取ることは過分な要望にしても、大国として振舞う責任が求められ ていることは、国民は自覚したほうがいいだろう。
【最後にもう一言】
この分野における韓国の立場は、ドイツと似たところがあるかも知れない。自前の資源もなく、原子力技術で日本の後追いをするわけにもいかない。韓国では 今、ドイツよりさらに積極的な太陽光発電普及促進策が施行され、設置量の急拡大を図っている。製造業の立ち上がりは遅れを取っているものの、急激な勢いで 投資が増えている。
太陽光発電に国家の命運を賭けようとしているドイツと韓国、冷めた目で距離を置いている日本。後悔しない選択をしたのはどちらだろうか。