堂島に新校舎、六稜の校章

明治22(1889)年4月3日

doujima1.jpg 1883年に、中之島の師範学校内から堂島川の北岸にあった中津藩(大分)藩邸に移転したが、老朽化が激しく、新校舎建築計画が進められた。 候補地が二転三転し、結局は同地に新築することとなり、1889に新堂島校舎が完成する。 正門は堂島浜通りに向かい合い、道を隔てて堂島川が流れている。 本館正面のバルコニーの上の白壁に金色の六稜の校章が輝いていた。
この六稜の校章は、以前は「中」の字をかたどったものであったが、この時期に現在の六稜へと変わり、新校舎に輝くことになったものである。 落成式は152人の来賓を迎えて行われた。 式後の来賓立食パーティーの会場へ「赤帽赤袴美髯」で旗を掲げ、太鼓・笛・ラッパ・拍子木などを鳴らし足踏み調子で押しかけた連中が2曲の詠歌を唄って引き上げた。 この生徒のいたずらを来賓一同驚き笑い興じたという記事が新聞に記載されている。
この新校舎の建築費は18,216円60銭7厘、ちなみに北野校舎は70,000円であり、十三校舎は495,140円85銭と記されている。 また、堂島の前に建てられた中之島校舎は7,472円3銭7厘とのことである。