【連載】大阪の橋

第21回●神崎橋(5)
近代の神崎橋

松村 博
(74期・大阪市都市工学情報センター理事長)

    大阪の町の拡大にともなってもっと下流で川を渡る街道が開かれ、神崎渡しの通行者は相対的に減ってきたと思われます。この地点に橋が架けられるのはかなり遅れました。このあたりの都市化も遅く、都心に比べ橋の需要も少なかったのでしょう。神崎の地に橋が架けられたのは 大正13年のことです。歴史上はっきりしているものとしては、この橋が初めてであると言えます。その1年後の大正14年に、大阪側の西成郡が大阪市に編入 されています。

    この時の橋は、長さは310.4mと長いものでしたが、幅員は4.5mと狭いもので、主桁には長さおよそ9mのI型鋼が用いられ、35径間よりなってい ました。橋脚は、径25cmほどの丸太よりなり、1脚あたり6~7本建てになっていました。桁の上には細い丸太を並列に並べ、上に砂利を敷いて橋面が整え られていました。このように市内の橋に比べますと、構造的にはかなり貧弱なものでした。
    この橋は、神崎川の洪水に無傷ではありませんでした。すべての記録があるわけではありませんが、昭和13年と戦後の25年のジェーン台風のときに橋の一 部が流されました。橋の根本的な架け換えはなかったとしても大規模な補修が幾度か施されたことでしょう。

Last Update: Apr.23,1999

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