第15回●長柄橋(9)
現在の長柄橋
松村 博
(74期・大阪市都市工学情報センター常務理事)
- 昭和30年代になると、自動車交通が急激に増え、市内各所の交差点では交通渋滞が日常化するようになってきます。長柄橋の北側の交差点は特にひどく、 30年代後半には市内随一の渋滞箇所といわれるようになりました。このため長柄バイパスが建設されることになり、昭和39年に完成しました。バイパスによって大阪市内から北へ向かう車は橋の途中で分離され、交差点の上を越えて右折できるようになりました。この橋の曲線部には当時では珍しい曲 線の箱桁が採用されています。
淀川は我が国の川の中でも最も重要な川の一つです。昭和46年に新しく決められた淀川改修計画では、洪水の確立を200年に1度にまで高めるために、堤 防を高くするとともに低水路も川の中央に移し、川底を下げようとするものです。一方、橋の耐荷力も不足するようになっていましたので、河川計画ともあい まって架け換えられることになりました。昭和48年から工事が始められ、10年の歳月と約60億円の費用をかけて、現在の長柄橋は完成しました。
新しい長柄橋の中央部には、スパンが152mのニールセン・ローゼ桁というアーチ型の橋が採用されました。この形式は、アーチと桁を編むように多数の ケーブルで結ばれているが特徴で、全体としてスリムな印象を生み出しています。
また2つのアーチ面が内側に傾いており、バスケットハンドル形と呼ばれ、橋のねじりに対する抵抗力が高くなるのが特徴です。
そして、新しい橋では、橋の歴史を顕彰するために南詰の親柱の裏側に長柄橋の由来が、北側の親柱には『古今集』の和歌2首が刻み込まれました。たまには それを見ながら、橋をのんびりと歩いて渡ってみてください。
Last Update: Jan.23,1999