長柄三ツ頭『淀川両岸一覧』 |
第12回●長柄橋(6)
長柄の渡し
松村 博
(74期・大阪市都市工学情報センター常務理事)
- 幻の名橋・長柄のはしのイメージはますます膨らんでいくことになりましたが、中世・近世においても再び長柄橋が架けられることはありませんでした。そし て中津川にも、毛馬から上流の淀川にも橋が架けられた形跡はありません。津の国の ながらの橋の かたもなし
名はとどまりて きこえわたれど …(西行)
江戸時代になって大坂の町は大いに繁栄しますが、経済圏の拡大にも限度があり、長柄橋を必要とするところまでには至らなかったようです。そして中津川の 分岐点のすぐ下流には長柄の渡しが設けられ、吹田から北摂方面へ向かう人々に利用されました。
分流地点は三つ頭と呼ばれ、豊かな水量をたたえた淀川の周辺には広々とした農村風景が広がっていました。
陽炎【カゲロウ】に むらなし何所【ドコ】が 橋処【ドコロ】
(小西来山)
Last Update: Nov.23,1998