【連載】大阪の橋

第3回●十三大橋(3)
十三橋

松村 博
(74期・大阪市都市工学情報センター常務理事)

    十三の渡のところに初めて橋が架けられたのは、明治11年のことです。江戸時代、中津川や毛馬から上流の淀川には橋は一つも架けられていませんでした。 橋を架けて、それを維持していくほどの地域経済が発達していなかったことが大きな要因であると考えられます。明治の初めには中津川にもいくつかの橋が架け られましたが、そのきっかけになったのが明治4年に出された太政官の布告です。自費または会社を組織して路をつくり、橋を架けたものには年限を決めて、通 行料を取ることが認められました。つまり有料橋が奨励されたのです。これによって架橋のブームが起こりました。十三橋は、成小路村の村民13人の共同経営として橋を架ける許可を取り、半年ほどの工事によって11年7月に完成しました。もちろん木橋で、長さが 171m、幅が4mの規模を持っていました。工事費は3500円であったということです。私設の橋でしたから当然有料でした。通行料は「人及び人力車=3 厘、牛馬及び荷車=4厘」と決められました。当初の計算ではおよそ5年で償却できるはずでしたが、利用者が少なかったのと修繕の費用がかさんだため、3年 間延長されました。それでも償還のメドが立たなくなり、明治19年には大阪府に移管され、通行は無料になりました。このように有料橋の経営はいずれも苦し いものだったのです。

Last Update: Jul.23,1998

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