笹部桜考(56)

連載を終えるにあたって

小林一郎
(78期)

    このシリーズを連載する経緯は第一回目にも記してありますが、母校校舎改築に際して撤去されてしまう笹部桜をなんとか移植保存しようという運動の中から始 まりました。桜そのものだけでなく笹部氏・久野氏という両先輩の業績と考え方を今の世の中に発掘し顕彰したいというものでした。
    調査、取材では多くの方々の協力を戴きここにあらためて謝意を表します。特に酒ミュージアム(白鹿記念酒造博物館)様には毎回「西宮市笹部桜コレクション」の中から傑作を提供戴き、地味な本文に花を添えて頂きました。残念なことが一つ、それは桜守公園に関しての寄稿を依頼していた戸澤正雄氏(63期)が亡くなられたことです。色々なアドヴァイスを戴きました。笹部桜の イラストや水彩画を描いておられました(母校の定時制の美術の講師をされていました)。岡本南公園桜守会の活動について興味深いお話を伺えるものと期待し ていましたが残念です。ご冥福をお祈りします。

    WEB連載ということで六稜以外の方々からも反応がありました。主に「植物」関係から国公立の研究所や個人の「桜」関連のサイトへのリンクの依頼が数多く来ました。

    そのなかで「荘川桜」関連で縁が繋がった電源開発(株)広報課とは、連載時期が先方で再建計画中であった御母衣展示館の映像ソフトの内容を荘川桜の移植ス トーリーを中心に進めようとしていたのと丁度同時期にあったことから参考になったとのことで、以後も情報のやり取りが続いています。

    ほかに、桜の季節になると雑誌やテレビで笹部桜、笹部新太郎氏をとりあげているのが目に付くようになりました。そのなかで明らかに「笹部桜考」を参考に作られたと思われるものもありましたが、これは剽窃を問題視するのではなく、大いに喜ばしいものと受けとめています。

    桜と人との物語はこれからも新しく生まれ、繋がりも広がり、記すべき事柄はまだまだあるのでしょうが、母校の笹部桜移植工事終了をもって「笹部桜考」を終えたいと思います。

    有難うございました。

Last Update : Jun.9,2002

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