笹部コレクション(14)
ビードロ簪(桜花文・牡丹文)
【びいどろかんざし】
法量:長さ19.4cm
幅 1.0cm
高さ0.6cm
重さ30~32g
杉元仁美
酒ミュージアム(白鹿記念酒造博物館)学芸員
<櫻に因む蒐集品控>より
昭和17年5月16日阪急百貨店美術古本店にて(略)古本店が義山(ギヤマン)の陳列してゐる中に桜花かんざしを見付け各壱本づつ三本陳列してあったのを 買って、まだあると聞いて全部を買った訳である。牡丹と亀甲(?)とは全く同一の図案のものとて離すのも惜しいので桜に縁がよい、唯牡丹の方だけは桜共々 花王と称すると無理に考へたが亀甲の方がどうも始末が悪い。珍しい桜の蒐集品だ。明治初期のものとは思はれる。壱本八匁(30g)の重さだ。おそらく吉原 島原あたりの太夫衆の使用したものと想像する。総計拾伍本あって桜がその内、五本あって都合のよい数だったのを参本を売ったのだといふ。五本であり。拾伍 本であると道具としてよかったのに残念なことである。
ビードロとギヤマン
日本では古くから、ガラスを意味する言葉として、中国から伝えられた琉璃【るり】、玻璃【はり】という語が用いられていました。または富岐玉【ふきだま】とも呼ばれていたようです。
ガラスの製法はヨーロッパに発生し、最初に中国に伝わり、日本には古墳時代に伝えられたといわれています。しかし、この時代のガラス製法は900年代には衰亡してしまいます。何故一度、日本でもガラス細工が始ったのに、急に消えてしまったのかわからないままです。
16世紀に入ると、ポルトガル船の漂着により南蛮文化が流入し、ガラスの“再登場”なります。この時、ガラスの名称が一変し“ビードロ”、“ギヤマン”の 呼称が普及します。それぞれポルトガル語で、ヴィドロ(vidro)、ディアマント(diamante)を訛った語で、江戸時代の頃には両者ともにガラス を意味する言葉として用いられていたといわれています。しかし、当時の資料「長崎名勝図絵」には、両者は時により使い分けられていたことがわかります。 “ビードロ”は普通のガラスであり、終始ガラスを意味する語として用いられ、“ギヤマン”は彫刻の施されたガラスであり、多様な語義変化をみせる語として 分けられていたようです。
南蛮文化の流入により、西欧の製品や技術が輸入されるようになり、江戸時代には“ビードロ”、“ギヤマン”をつくる職人が、江戸・大阪・長崎にいたが生産が少なく貴重品とされていました。
明治初年にはドイツ語のグラス(glass、Glas)が渡来し、ビードロ技法からイギリス式・ドイツ式の技術輸入により、ビードロ技法は廃絶となります。また呼称も“ガラス”(外来語)と呼ばれるようになっていきます。
紫ギヤマン桜樹画徳利
【むらさきぎやまんおうじゅがとっくり】
法量:高さ17.6cm
口径2.8cm
胴径6.7cm
協力:西宮市笹部桜コレクション(白鹿記念酒造博物館寄託)
Last Update : Jul.23,2000