笹部桜考(41)


熊野神社参道いまむかし
(左:昭和30年代~伐採された切り株の列 /右:現在の様子)

笹部新太郎ゆかりの桜(4)

紀州権現平の桜
(和歌山県西牟婁郡白浜町才野)

小林一郎
(78期)

    戦前(昭和11年頃)、笹部新太郎は白浜温泉近郷の桜の名所として知られた権現平の熊野神社参道の桜並木を調査しました。


    神社名を記した石柱
    (桜花型の底部からは「桜の宮」と呼ばれた
    往時の華やかなりし雰囲気が伝わってきます)

    この地の桜は明治34年に地元西富田村才野から初めて北米に移民した6人が「故郷に報ゆる何の業績も残せないので」と植えたものですが、大正の頃には大木 となり参道は花のトンネルとなりました。昭和に入って、道路の整備、紀伊富田駅の開通とともに花見客が押し寄せ、新聞に花便りが載せられ、4月15日の祭 礼日には田辺駅から臨時列車が運行されるという大層な賑わいを見せました。

    樹形の良さ、成長力の早さ、花弁の厚さ、実の大きさ重さ、病害虫に対する強さ、どれを取っても素晴らしく、新太郎は『櫻男行状』に「その花の佳(よ)さは 私の知るかぎり群を抜いていた」「この桜こそ今日以後の日本の桜の品種改良の基礎となるものと密かに思い定めた」と絶賛していましたが戦後の食料増産のた めことごとく伐採されたと聞いて「おそらく、もう日本の何処にもこれに代わるほどの桜は見当たるまいと思うにつけただ茫然とした。」と記しています。


    西宮から故郷へ里帰りした紀州権現桜の苗

    戦後昭和27年頃には地元青年団を中心に「才野さくら会」が作られ「桜の宮」復活を目指して植樹活動が再開しました。八重桜、ソメイを含めて数種の苗が植 えられ参道の桜並木も形が整い、400本以上の桜が境内周辺に復活しました。平成6年からは西宮で増やされた権現桜が里帰りして加わり、以後毎年10本程 度づつ増やしていくとのこと。数年前からは花見時のライトアップも行われるまでになり、植樹と施肥はさくら会の若手が、下草刈りは老人会がと着実な活動を されています。「自分らでやって自分らで楽しむだけ」(さくら会メンバーの談)という取り組み方は爽やかで好ましく、数年十数年後にはすばらしい「桜の 宮」となるに違いありません。

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Last Update : Jul.23,2000

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