笹部新太郎氏のこと(12)
(17期・1887-1978)
自宅の書斎にて |
小林一郎
(78期)
「桜一筋」と形容されてきた笹部新太郎ではあったが、全く他のことはだめだったのかというと決してそうではなかった。「櫻男行状」の書き出しは幼い頃の近 所の芝居小屋の印象から始まっているが、歌舞伎の趣味はずっと続いていたようだ。また造幣局の「春秋会」の講演の為に金剛流の家元から鼓や面を借り出した りするだけのルートを持っていたようだし、戦争で実現できなかったが造幣局内に自分の結構で茶室を造ろうとしたり、後の岡本の家の普請には宮大工や千家十 職の手を入れている。笹部コレクションに見られる陶磁器、絵画類を選ぶ目も確かなものがある。
詩文類の収集も多く、現在資料を管理している白鹿の若い学芸員の方も漢籍類の整理にはてこずっておられるようだ。(それでも笹部新太郎の遺した未発表の原 稿をまとめて『桜の俳句』『櫻癖』『京のお花見』という三冊の小冊子を印刷し白鹿記念博物館内で頒布するなど着実な活動をされている)
川柳子との付き合いもあり、東西の「番傘」の頭目から数首の句を贈られている。
- 日本の桜を背負ってたつ男
時はいまソメイヨシノのまっさかり
阪井久良伎花は桜人もさくらの一代記
岸本水府
晩年の笹部新太郎は視力と脚力の衰退から殆ど家を出ることなく、医師の往診と南野氏、八木氏、久野氏など数名の訪問を受けるだけの日々が続いた。そして昭和53年〈1978年)12月19日午後6時、老衰のため遂にその生涯を閉じた。
享年91歳。川西市西方寺に埋葬される。
遺された資産のうち色んな経緯はあったものの、自宅は神戸市によって桜守公園として整備され、武田尾の演習林亦楽山荘は宝塚市によって桜の園市民ハイキン グコースとして整備され、数千点に及ぶ桜コレクションは西宮市から白鹿酒造記念博物館に寄託、一般に展観されることとなった。笹部氏本人が亡くなることに よって、より多くの人々が彼の業績を知り、彼と同じ楽しみを享受できるようになったのも皮肉と言えば皮肉なのだが。
増補改訂版『櫻男行状』に入れられた笹部新太郎の最後の文章ともいうべき「思いかえせば」を抜粋してみる。
桜人生を思い返して…「思いかえせば、私はこれまで、何もかも一切をふり棄てて、ただひたむきに桜一筋にうちこんだきた。…(中略)…桜とさえいえば、対手が誰であろうと素裸 の一本勝負で戦いを挑んできた。大手とはいえないが、か細い両手を広げて対手を待ったが、今日まで体を合わす人は見つからず、みな体をかわす人ばかりにし か遂に会えなかったことが寂しい。
…(中略)…知らぬ人には、いかにも華々しい一生と思われるかもしれないが、やはり一人相撲ということになろう。…(中略)…大正時代、大阪の芝居小屋や 講談、落語、浪曲の小屋がいたるところにあって、それぞれの名人上手が演技を競っていた。お役所などの口先ばかりの文化ではなく、大阪の町と人とが造り上 げた文化の花が一部貪欲な事業屋の手で、今見るように根こそぎとりつぶされてしまわない、まことにいい大阪時代に、場所も北新地に永楽館という落語の寄席 があった。この持ち主の豊かな気持ちからか、それともこの人の普請道楽のせいでか、その建築は日本随一の豪華なもので、これだけ普請に金をかけたのでは、 到底ここの興行が割りに合うものとは思えなかった。お客が楽しむより、まずこの寄席の持ち主が楽しんでいたらしい。初代桂春団治がよく私に『私がいつもト リをやるんだが、私はこの席ほど好きなところはおまへん。そのせいかいつも高座が長うなります…』といっていたものだが、この寄席にまだ前座あたりの出る 時刻に、落語よりは“独角力”という看板で特殊の珍しい芸をやっている男がいた。この男、よほどの練習を積んでいたものらしく、服装はざっといえば鼠色の 木綿の生地で作った、このごろよくテレビに出る忍者の衣装そっくりのもので、相撲の手も始終変えていたので一応はお客の拍手を受けてはいたが、いつの程に か、この男の姿が高座に見られなくなった。もともと一人で相撲の動きをそれも絶えず変える工夫が要ることだし、何といっても芸が淋しいのが無理であったの かもしれぬ。私の桜もどうやらこの男にいくらか似たところがあったのかもしれぬ。が、私はいまではこの男の芸名も忘れ、またその後の消息も知らない。」
例によって批判と自嘲の交じった文章で自分を三流芸人になぞらえてはいるが、どちらかといえば永楽館の館主と同じ生涯といえようか、日本一といってもおか しくないのだが、先ず自分自身が楽しむ桜道楽の部分が大きくて、それが笹部新太郎の業績の評価が分かれるところである。先の小林秀雄の言葉が出てきた所以 でもあろうが、しかしこれこそが文化、範囲を狭くいえば上方の町と人から生まれ出た文化と言えるのではなかろうか。
Last Update : May.23,2000