笹部桜考(33)

笹部コレクション(11)《春季展特集4》
古代紫地裾ぼかし
桜花縫取大奥打掛【おうかぬいとりおおおくうちかけ】
一領:作

杉元仁美
酒ミュージアム(白鹿記念酒造博物館)学芸員

<櫻に因む蒐集品控>より
「昭和15年3月8日阪急百貨店、大阪市東区南本町5丁目角間直吉珍裂出品珍らしく桜花のみ鮮かな刺繍で、唯僅かに裾と上部に稲田、鶏、山水鳥、すみれ、 紫雲英の花などがあるが殆ど全部桜花紋様といってもよく生地の古代紫の上に艶麗を極む。保存極上、角間の主人は明治初年のものといふ。高価なのが痛かった が思切って買って持て帰って見ると、よくこそ買っておいたと思ふ程よい。」

平安時代の公家の女子の衣服の中心として、袿【うちき】といわれる実用衣がある。何枚も重ね用いる形式であったが、鎌倉時代になると、これまで用いられた が袿が礼装的な意味を持つようになり、一枚ではおることが正装視されたのである。宮廷において衣服の簡略化が起り、小袖に袴をつけ、上から袿をはおった姿 を衣袴【きぬはかま】といったのである。

鎌倉時代以後、小袖が中心となって衣服構成が出来、小袿の代りに小袖を打ち掛け、袴を略して外出するようになったのが<打掛>の起源である。<打掛>は歩 行の祭に褄をかいどるので「かいどり」ともいった。また、夏季には肩を脱ぎ、腰に巻いたので「腰巻」と呼ばれた。江戸時代になると、武家の夫人や御殿女中 の正装となり、公家女子、富裕な町人の家庭でも用いられるようになった。 明治以後、婚礼衣装として上流階級に用いられたが、戦後、貸衣装として一般化した。

協力:西宮市笹部桜コレクション(白鹿記念酒造博物館寄託)

Last Update : Apr.23,2000

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