笹部桜考(24)

笹部新太郎ゆかりの桜(1)
清水【しょうず】の桜
滋賀県マキノ町海津逢坂

小林一郎
(78期)

    昭和27年6月、湖北の桜の調査に向かった笹部新太郎はがけ崩れによるバスの不通で帰る足を失いました。当時の江若鉄道(現JR湖西線)は近江今津までで その先は一日三往復の国鉄バスのみでした。タクシーもない土地とて已む無く付近を歩いていると遠くにボーッと薄黒く立つ巨樹を見つけました。近寄ってみる と部落の共同墓地の傍らにある幹周一丈六尺三寸のヒガン桜でした。樹形も面白く、これだけの巨桜が世に知られていないのは稀有のことだと翌年4月満開の時 期に朝日新聞のカメラマンを同行して再調査しました。品種はウバヒガン(現在はアズマヒガンとされている)とわかり、翌日の朝日新聞に掲載され多くの人の 知るところとなりました。後に水上勉の「櫻守」の最後の方で主人公の北弥吉が、「わしが死んだら清水の墓地に埋めてくれ…たのむ。…あすこは村の人らの眠ってるとこや。みんな、桜の下で眠ってはる」と書かれた小説の重要な舞台ともなりました。

    数年前に筆者たち78期のメンバーが訪ねたところ、大きな幹の一つが切られていましたが樹医の手が入っているようで大事にされていました。小ぶりの色の濃 い花が密度濃くついて青い空をバックに見事に咲いていました。近所に大崎の桜並木という桜の名所があり人出も多いのですが清水まで足を伸ばす人は比較的少 なく、村の墓地を見守っているという風情はまだまだ壊されていません。墓碑を見るとその多くは今次大戦の一兵卒のものばかりで出征して骨になって故郷に 帰ってきた若者達の魂を鎮めるかのように静かに優しく、また凛とした姿で花見目的でやって来た外の人間を拒絶するかのような雰囲気がありました。

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Last Update : Jan.23,2000

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