笹部桜スポット(6)
吉野山【頌桜の碑】横
国立公園吉野山桜展示園下段老人広場奥
(上千本口から左手水分神社方向に向かって徒歩五分)
小林一郎
(78期)
- 昭和40年、笹部新太郎78歳の時にこの碑は建てられました。その花の姿を愛でるだけでなく、桜は用材として古くから鼓の胴に使われたり、樹皮も色んな細 工に用いられたりしましたが、中でも一番多く使われたのが版木でした。古来、経文の普及、物語などの伝播、江戸期の浮世絵や明治の錦絵まで、日本の文化を 支えてきた樹木といえます。 碑文にはそうした旨を刻んであり、笹部氏の桜に対する感謝の気持ちと慈しみが伝わってきます。碑の建立については本文で後に取り上げもしますし、今回は「笹部さくらコレクション」でも取り上げられていますのでそちらをご覧下さい。
笹部桜は碑に向かって右側奥数メートルの所に、久野夫人によって1999年2月に五年生の苗が寄贈植樹されました。久野氏没後に残されていた3本の比較的 成長していた苗のうち、2本を六稜同窓会に寄贈いただき、最後の1本となった分です。夫人は最後の苗を何処に貰ってもらえば一番良いかと考え、やはり吉野 山の「頌桜の碑」の傍しかないと町役場にその旨電話をしたところ、「さあ、記念碑はいっぱいあるからねえ、どのぶんですかねえ」と少し迷惑そうな答えが 返ってきたとのことでした。それから順々に説明してやっと解ってもらえたそうです。35年前、除幕式当日は近鉄の社長、会長、地元の関係者など500人分 の弁当を用意したものが、出席者の多くは亡くなったり現役を離れたりで、若い役場の職員には最初何のことだか解らなかったようです。【頌桜の碑】の周りの 雰囲気も建てられた当時と今とでは随分変わりました。当時は樹木の生い茂った良い雰囲気だったのですが、三年前の台風で大きな樹木はなぎ倒されて随分と明 るく開けた感じになっています。現在(2000年)移植された笹部桜の周りには人が踏み荒らさないように柵が作られ由来を記した木の札も立てられて、地元 でも碑ともども大切に扱われているようです。
写真は今年4月に78期の面々が訪れて記念撮影をしたものですが、右端の男性(鈴木明男)の頭の上方に写っているのが笹部桜です。このとき我々はこれが植えられたばかりの笹部桜とは知りませんでした。吉野山にお花見に行かれたら是非【頌桜の碑】を訪ねてみてください。
Last Update : Aug.1,2000