平田渡のサヨナラ航行(昭和45年3月) |
第34回●豊里大橋(4)
豊里大橋
松村 博
(74期・大阪市都市工学情報センター理事長)
- 豊里大橋は大阪内環状線、都市計画道路名でいう新庄大和川線の一環として、万国博覧会が開催される直前の昭和45年3月に完成しました。橋長は 561.4m、幅員は19.5mで、川の中央部の低水路を跨ぐ部分には80.5+215.0+80.5mのスパンをもつ3径間連続の斜張橋が採用されまし た。その他はスパン60mの2主桁形式の鋼床版桁が用いられています。この斜張橋は日本国内ではごく初期のもので、大阪では初めてのものでした。斜張橋は桁橋形式では架設が難しい200mを越える距離を一跨ぎしなければな らないような場所に有効な形式であるとされています。その後の技術発展の進行は目覚ましく、本州四国連絡橋の尾道~今治ルートの多々羅大橋では中央スパン は800mに達しています。
高い塔から非常に強いロープで桁を吊っているので、桁への負担を少なくし、桁高を低くすることができ、その結果、取付道路を短くできるという利点ももっ ています。しかし非常に繊細な構造ですので、設計と施工にあたってはケーブルを利用した力のバランスをいかにうまくとるかがポイントになり、綿密な構造計 算と微妙な現場作業が要求されます。
豊里大橋の建設にあたっては、いろいろな技術的検討がなされました。斜張橋の補剛桁は、剛性が低いため風に対して揺れやすい性質をもっています。このた め任意の強さの風を起こすことができせる風洞という実験装置を使って、桁の断面を工夫し、通常の風では橋桁が振動しないことが確かめられました。補剛桁は 強力なケーブルで吊り上げられていますが、その定着部分には大きな力が集中します。この部分が十分な耐力を持ち、なおかつ力がスムースに桁に伝わるような 構造にするために、詳細な構造解析や模型実験が行われました。
桁を吊っているケーブルには非常に強度の高いピアノ線が使われます。それまでの斜張橋では撚り線が使われていましたが、その材料の強度を有効に生かすた めに平行線のケーブルが使われました。
現在の豊里大橋 |
斜張橋は力学的にも合理的な構造形式であるばかりでなく、そのバランスのよい姿は近代的な都市の景観を向上させる上でも貢献をしています。その面でも先 駆的な役割を果たした豊里大橋は、大阪ばかりでなく日本の橋梁技術の発展にとってもエポックメイキングな橋になったのです。
Last Update: Oct.23,1999