西成大橋と工事中の淀川大橋 |
第28回●淀川大橋(4)
西成大橋
松村 博
(74期・大阪市都市工学情報センター理事長)
- 新淀川の開削中には新しい河道にも仮の桟橋が架けられていましたが、往来には不便なものでした。そこで明治39年に大阪府は新淀川の開削によって分断さ れていた6つの路線のうち、特に緊急を要する3路線にかかる橋を優先的に架設することにしました。同年11月には大阪府会郡部会の承認を得て、3カ年の予 定で、予算約39万円(うち国庫補助20万円)をもって工事を進め、明治41年には完成しました。 このとき、十三橋と長柄橋と共に完成したのが西成大橋です。この場所は当時は西成郡に属していましたので、このように命名されたものと思われます。西成 大橋は明治40年10月に着工され、41年12月に竣工しました。長さ735m、有効幅員約5.5mの規模をもつ鋼桁橋で、工費は13万5300円を要し たと記録されています。
この橋のたもとに建てられていた親柱が、西淀川区花川二丁目にある鼻川神社の境内に残されています。その石柱の4面には「西成大橋」という橋名はもちろ ん、施工者の「大阪府」、そして「明治四十一年十二月竣工」と「延長四百四間参分 高欄内法三間」という橋の寸法が彫られています。
Last Update: Jul.23,1999