大阪府立北野高等学校校長
秋田典昭
諸君は、125年の歴史を持つ本校が時あたかも、新しい出発をしようとしている記念すべき年の入学生である。というのは、昭和6年に建てられたこの校舎も、既に老朽化し本年四月から新校舎建築が始まろうとしているからである。
さて、本校125年の歴史を支えているものは何か。125年の長きにわたって脈々と流れ続け、一貫して変わらなかった本校の教育方針は、「紳士道の養成」にあった。すなわち、ジェントルマンの精神の養成であり、レディの精神の養成であった。そのジェントルマン・レディの精神とはいかなるものか。
昭和28年(1953年)の「六稜新聞」第41号(10月17日付)の70周年記念特集号によれば、次のように説明されている。
それは、「北野の生徒として恥しくない、いいかえれば世人が北野の生徒に期待するところに背かないようにするにあったのではないかと思う。それはある人は質実剛健とかよく勉強するとかいう特質をあげるかも知れないが、そういう徳用を幾つかあげても説明し尽せるものではないような気がする。それよりも世人から学生はかくあるべしと期待されるところに背かないため自ら行動について自重し、名誉を重じる、学生として当然な任務である勉強にいそしむ、人から敬意をうけるに足る人格を形成するために自戒し発憤するということになったのではあるまいか」
自らを厳しく律し、名誉を重んじ、勉学にいそしみ、優れた人格形成に努める、これが本校の長い歴史の中を流れ続ける教育方針である。諸君はそうした学校であるから本校をめざして入学してきたはずであり、また諸君はこうした教育方針に十分に応えてくれるものと確信している。さて、「初心忘るべからず」という言葉があるが、そういう言葉が有るということは、志を持続することがいかに困難なことであるかを物語っている。エベレストに登頂することも、北極点に到達することも困難なことであるが、しかし、単調な日々の中で志を持続することはそれ以上に困難な闘いである。そうした困難な闘いの新しい旅に出発しようとしている諸君に、激励のエ一ルを送るとともに、ささやかなアドバイスを諸君に贈りたい。それはまず形を大事にするということである。
諸君は「形」について考えたことがあるだろうか。形というと、「形式的」とか「形ばかり」という使い方をされ、どちらかというと精神とか真実というものと遠く懸け離れたものとして考えられている。実質のない、空っぽなもの、本質と無縁なものとしてしりぞけられるもの。それが、「形」に対する大方の評価である。そして、人は、特に青年は、その無意味な、本質の把握を邪魔している形、形式を排除して、直ちに、精神、本質に参入しようとする。ところが、この一見本質とは無縁な、形、形式が、実は精神や本質を支え、助けている、あるいは本質そのものであることがしばしばあるのである。
諸君のよく知っている菊地寛の短編小説『形』は、この点を主題として書かれた作品である。念のためにざっと粗筋を述べてみる。
摂津半国の松山新介の侍大将中村新兵衛は「槍中村」として広く知られ恐れられていた。彼の武者姿は戦場において、水際立った華やかさを示していた。火のような猩々緋の服折を着て、唐冠纓金の兜をかぶった彼の姿は、敵味方の間に輝くばかりのあざやかさを持っていた。「ああ猩々緋よ唐冠よ」と敵は、新兵衛のやり先を避けた。その新兵衛があるとき、主君の子でわが子のように慈しみ育ててきた若い侍の頼みにより、その初陣に、猩々緋と唐冠の兜を貸してやる。そして、その日、彼は黒皮縅の冑を着、南蛮鉄の兜を被っていた。若い侍が実に鮮やかな初陣ぶりを見せたのと対照的に、新兵衛に対しては、いつもは、羊のように怖じけづき、うろたえ逃げ惑う敵が、その日に限ってびくともしない。むしろ勇み立って立ち向かってくるのであった。こうして、彼はこの日、敵の槍によって殺されてしまったのである。この作品には形の持つ不思議な力、恐ろしさというものが、実に巧みに描かれている。中村新兵衛が敗れたのは、戦場で一際華やかな猩々緋と唐冠の兜という形を失ったからである。その形を失った新兵衛は、ただの侍に過ぎない。猩々緋と唐冠の兜という形の持つ不思議な魔力を失ってしまったのである。
形は、日本の伝統文化を学ぶうえでは欠かせないものである。なかでも、形を重視するのは、茶道であろう。茶道は実に煩瑣な形式に支配されているように思われる。大学時代友人の勧めもあって、なんという考えもなく、茶道部に入った私は、茶道の中に流れている精神、千利休が体得した精神には強く引かれながらも、合理的な根拠を欠いていると思われる茶道の形に強い反発を感じていた。そして、茶道の中にある精神、千利久のつかんだ精神をどうつかむかという点に、力点を置こうとした。結局大学の茶道部での四年間では、利久の茶の精神は何もつかめなかった。それから何年もたって、茶道のことはすっかり忘れてしまっていたころ、何かの折りにふすまを開けることがあり、その時の自分の開け方を見て、はたと深く感じるものがあった。
それは、利久の茶の精神という抽象的なものはどこにも存在しない。あるのは具体的な形を通してであり、その具体的な形を通してはじめて利久の精神をつかむことができるのだという直感のようなものであった。利久精神と最も遠いと考えていた形が、形式が、実は利久精神を伝え、その精神を体得させる最も有力なものであったのであった。精神は、実はその形式の中にこそあったのであった。
諸君の中には、意志強固で決して何事にも動じない強い人がいるかも知れない。しかし、そういう人はまれである。努力の人を支えてくれるのは形である。挫けそうになったときの心強い味方は形である。
ところで、本校の生活における形としてはどのようなものが考えられるか。本校では卒業式の時に3カ年無遅刻・無欠席のものに対して、皆勤賞を渡し表彰することとしている。この遅刻しない、欠席しないということも実に大事な形である。計画を立てる、そしてその結果を簡単な記録につける。これも自分の意志を継続するための大事な形である。辛いときも、嫌なときも、悲しいときも胸を張って堂々と歩く。姿勢という形は、常に揺れ動き、不安定な自分の感情をコントロールするために欠かせないものである。こうしたこと以外にいろんなところで、諸君は精神を支える形の存在を発見できるであろう。思うに形は、定まらない肉体を支える脊梁骨のようなものである。
諸君、高き志を持て。そして、形を味方につけながらその志を持続せよ。決して安易に自己と妥協してはならない。挫折を伴う厳しい茨の道であっても、諸君は誇り高く堂々とロマンを夢を、追い続けることのできる諸君であることを忘れないでほしい。
式辞の終わりに昭和8年(1933年)、本校の校内誌『六稜』第78号(創立50周年記念号)に野間令一郎のペンネームで発表した野間宏の「燕」という詩を諸君に紹介したい。この詩に歌われている燕は、野間宏自身であり、同時に諸君自身の姿である。
底もなく冷えかへる青空の山巓
空高くはるかにひゞく残雪のかゞやき
暖い緑草は、ゆるく、はきだす息にゆれ
軽く閉ぢた眼にみちあふれる日光
燕ははてしない野原を切り開き
海一ぱい白い腹を飜へす、まひるの空