北野での成績は散々でした。
数学なんか10点とか、ひどい点数取ってましたから、留年の危機にいつも瀕してました。全然勉強してなかった訳じゃないんですよ。やっても出来ないんだから仕方ないんですよ。それでも出来る奴がいるんですよね。すごいなぁと思うんですけど。
北野の授業って、一を聞いて十を知るって所あるじゃないですか。僕なんか十五くらい聞かないと十が解らないんですよ。そんな状況でやられたら点数が悪いのも仕方ないですよ。クラブ活動は本当は水泳か卓球やりたかったんですけど、運動部は成績が悪かったら、活動停止になってしまうでしょ。
文化部は制限が無かったので、仕方なしに地学研究部に入りました。といってもクラブ活動らしいことは全然してなくて、放課後になると成績悪い?奴等が部室に集まってきて、ティーのポテト食いながら、アーでもないコーでもないとつまらんこと色々話し合って、暗くなると帰っちゃうというクラブだったんです。
地学部なのに弁論部みたいでね、思想とか政治の話なんかしたり、変に大人びた会話してましたね。学年はいろいろで5、6人いました。高木さん(103期、バイオリニスト)も時々喋りに来ていらっしゃいましたよ。男ばっかりでね、女の子なんて入れないですよ。雰囲気がだってもう、、。 今はもうその時のメンバーと全然連絡とってないんです。みんなどうしているかな。
体育大会の時 |
体育の時間に走らせられて、いざ断郊になると豆が出来て走れなかったり、縄跳びも追試やりましたしね。
後ろ二重跳びとかね。水泳もなかなかクリア出来ませんでした。
「北野生は旧七帝大にいかなあかん」ていう中で、成績の悪い僕なんかはすごく居づらい場所だったんです。だから北野にはいいイメージは持っていないんです。でも、2年の時の担任の野邑先生(古文)だけは、「北野の雰囲気に呑まれたらだめだよ。周りの人が東大や京大を受けるからと言って、自分もそこに行かなきゃいけないなんて思わないように」と言うてくれはったんです。なんか救われた様な気がしたのを憶えています。