アトリエ出版社『石膏デッサン』より |
浪人時代もずっとジャズをやっておりまして、大学でもクラスにも行かずにジャズをやっててあんまり真面目な学生ではなかった。その頃の日本のジャズ界ってレベルがそんなに高くなかったせいもあって、学生でもそこそこやってると結構やれたんですよ。新宿にピットインてあるじゃないですか、何回か出たことあったし、六本木のピアノバーとかホテルのラウンジでも弾いてました。ああいうのって…プロの50歳の人だって20歳の僕だって、ある程度の力量があれば同じだけのお金払うでしょう。「お前これ弾けるか?」で、ちゃんと弾けたら給料はほとんど変わらないですよ。そのかわりね、「お前、明日からもう来なくていいよ」っていうのもある。気に入らなかったら他のやつに取られるとかね。いま改めて思うんだけど…基本的に年齢とかは関係なくて実力主義だというのは、その時にすごく勉強になったと思いますよ。うん。
大学時代は国立【くにたち】に住んでまして、一緒にジャズやってる国立音大の人なんかは当然プロにいくわけですよ。上智大学のグループともやってて、気が付くと一緒にやってた人はほとんど、みんなプロにどんどんなっていくんですよ。プロと言っても売れるプロになった人は少ないけど。
私もその頃、就職を控えてですね。「一緒にプロになろうよ」という人もいたんだけど、まあそれほど自分の音楽性に自信がなかったこともあって、それともうひとつ「そうだ、俺は車のデザイナーになるはずだった」と。車の絵は描けたんですよ、ばっちり。車の絵は大丈夫。で、会社どこ受けようかなと思って…大学の4年間、東京にいたでしょう。何となく離れがたいものがあるじゃないですか。面白かったからね、あの辺は。
それでですね。車の会社で東京近辺というと、日産といすゞと、それから埼玉のホンダ。あとトラックやってる三菱かな。ホンダと日産に対しては特別な思い入れもなくてね。いすゞは117クーペとかべレットとかすごくモダンな車作ってたんですよ。
その頃からいすゞはね、デザインは結構レベル高かったんですよ。もう亡くなられたけど、井ノ口誼【いのくちよしみ】さんてデザインの部長さんがおられて、JIDA(日本インダストリアルデザイナー協会)の理事なんかやってこられて、かなりいろんなデザインの本を書かれてた。あの人の名前も知ってたし本も読んでたから、いすゞのデザイン部に対するレベルの高さもなんとなく感じ取られたし。
あとね、『カースタイリング』という雑誌がその頃出たんですよ。根岸秀孝さんと言っていすゞにいて、アートセンターに留学した人の記事なんか出てて、僕にはものすごく魅力的に見えたわけ。それでいすゞを受けた。
入社試験は作品持ってって面接して、筆記試験もなし。面接の時は井ノ口さんもいたし、当時のいすゞのトップ5ぐらいの人は全員来てた。その人たちの前で作品見せて説明して、ああだこうだと言って…それで終わり。すごくシンプル、人事面接もなし。でもそれね、今考えると世界的にみるとそっちの方がスタンダード。
車の絵と、ID(インダストリアルデザイン)の作品。学生の時だからいろんなのやってるよね。一応は真面目に作品は作ってました。そうでないと卒業できませんから。でも2年3年のときの作品ってあまりよくないじゃない。行く前ぎりぎりに全部モデルを作り直したり、土壇場で絵を描き直したりして持ってったかな。他にも何人か芸大のやつとかいたけど、そいつらは落っこったみたい。
まあ、受かったと。それで結局、車の会社に入るわけですが「もう、まっしぐらに来た」というよりは、もともとやりたいものはこの辺にあったんだけど、ここに来るまでは何となくフラフラしてた。でも最後はしっかり、小学校の頃から思ってた職業にたどりついた、という感じですね。