次に、そうして立てた航海計画に従って実際に船を動かすという仕事が待ち構えています。
船の速度には一般に「微速、半速、全速」の三つの船速があって、ゆっくり走るのを微速、次が半速、速く走るのを全速といいます。一般の商船はこの三段階ですけど、軍艦の場合は「微速、半速、原速、強速」そのうえに「第一戦速」から「第五戦速」までありましてね。当時われわれの船の場合、微速がだいたい4ノット。半速で8ノット。原速が15ノットで第一戦速が18ノット。最大戦速だと物凄い速いです。35ノットとかね。駆逐艦「島風」に至っては最大戦速40ノット…つまり時速74キロも出るのです。通常18ノット前後の船速だと時速30キロ強ぐらいで海の上を走ってる…そういうスピード感覚ですね。
出港時はゆっくり「微速」で慎重に操舵し、それから「半速」に。大阪湾を出たら「原速」にして走り、太平洋へ出ればもうちょっと上げる…そういう具合に船速を制御します。さらに微妙な速度調節には赤と黒の信号を使って、「黒」ならアトいくら回転数を上げる、「赤」なら回転数をいくら下げる…というふうにします。この号令に従って機関士が機関室でエンジンを動かすワケです。
「船を動かす」には、この「スピード」の制御のほかに「方角」の制御も不可欠です。それにはまず、現在地点の割り出しと、これから向かうべき方角の指示…が必要になります。
今では人工衛星を利用したナビゲーターで自分の船がどこを走っているか一目瞭然で解りますが、昔はもちろんそんな便利なものはありませんから…陸地が見えている間は3点測量で、陸地の見えない大洋へ出れば今度は天文航法で計測します。つまり、決められた3つの星の見える角度をそれぞれ測り、天測暦という分厚いノートを参照しながら現在位置を割り出すわけです。計測中に進んだ距離は船速と時間から割り出して修正を加えます。
そのようにして始終、自分のいる位置を把握しながら、とるべき針路を操舵員に伝えます。「淡路島北端ようそろ!」と号令をかけると、船首を淡路島北端に向け、それからまっすぐ走ります。
このようにしてスピードと方角を監督しながら「所要の時期に、所要の場所へ」船を着ける…というのが航海長の仕事です。航海術を学ぶということは、この指揮官としての役割を果たせるように勉強するということなんですね。基本的には物理と数学ですが。
海図の例
水測室内の寸景(画:武田照淳氏) |
水測(水中測的)術というのは、艦船の発する水中のスクリュー音を聴いて、それがどういう船であるかということを判別する能力と技術です。これには当時、水中聴音機という機械を用いました。これで音の聞こえる方角も分かりますし、熟練してくると音の大きさで距離まで解かるようになります。
さらに超音波探信儀という機械を併せて用いることで…(これは、ポ〜ンと超音波を発射して、その先に何か遮蔽する物体があれば、超音波がそれに当たって跳ね返ってきますから、その波形をモニターに表示して)…やはり敵艦の位置を知ることができました。この2つが水測兵器です。
現代の「ソナー」と呼ばれる最新鋭の兵器はこれら2つの機械を一体化したものですが、いづれにせよ…当時ボクらに課された任務は、目視できない水中の敵潜水艦の存在を聞き分けることだったのです。
ですから、水測術で一番大切なのは聴力、とりわけ音感だったのです。このために上野の東京芸大出身の佐藤吉五郎という有名な「絶対音感」の先生が来て、6ヶ月間みっちりと教育を受けました。ただ、その頃の海軍の兵隊といえば概ね農家の次男坊・三男坊という…ほとんど音感の訓練のしていない人ばかりだったからね。みんな音感は苦手だったようです。
ボクは音感に関しては常に100点満点でしたから、佐藤先生には随分かわいがってもらい、戦後もずっとお付き合いさせて戴きました。「演奏家と音楽教育家という違いはあれ…君と僕は莫逆の友であり、君はわが愛弟子である」なんて手紙も貰いました。佐藤教授の後日談では、ボクのほかに100点満点を取った人に、当時天才二少年と言われたヴァイオリニストの江藤俊哉さんとピアニストの豊田耕二さんが居られたとのことです。
ともかく、飛行機で攻撃されたら別ですが、ボクの乗ってる船は潜水艦には絶対沈められんぞ…という密かな確信さえありました。
実際にどういう音がするか…ですが、ボクにとってみれば「あんなもんはいっぺん聴いたらすぐに判るだろう」と思うのですが(笑)、ともかく一番肝心なのは魚雷の音と潜水艦の音を一刻も早く発見し識別することだったのです。
まず、大型の戦艦の場合はタービンでエンジンが回っていますから《キィーン》という鳴音がします。商船とか小さい駆逐艦なんかの場合はディーゼルエンジンですから《ドゥルルルル…》という連続音なのですぐに分かります。一般の商船や貨物船などはレシプロエンジンですから《ゴットントン、ゴットントン…》というピストンエンジン特有の周期音が、漁船などの小型船は焼玉エンジンなので《ポンポン、ポンポン…》という発動機特有の音がします。
さて、問題の潜水艦ですが…(現在の原子力潜水艦は別ですが)…水上を走っている際にディーゼルエンジンで発電機を回してバッテリーに電気を充電しておき、いざ水中に潜ると(空気がないので燃焼エンジンは使い物になりませんから)電池で電動機を回して推進の動力とします。ですから、(潜水中の)潜水艦の音はかならず電動機特有の三連符で《タカタ、タカタ、タカタ、タカタ…》という綺麗な音がするのです。
日本の潜水艦は、これらの三連符に加えて《クイッ、クイッ、ゴトンゴトン》という機械音が混じります。これは造機技術の未熟さからくるもので…船底に据え付けたエンジンに防振ゴムをかませてなかったために、エンジン音が船体に響くようになっていたわけです。
最後に一番大事なのが魚雷(魚形水雷)です。これは40ノットぐらいの高速で近づくので非常にドップラー効果が強く、また、スクリューの回転がすごく速いので非常に高い鳴音がします。しかも、スクリューが一つだけだとまっすぐ進まないので、必ず二つのスクリューを互い違いに回しながら直進します。ですから、魚雷は他のエンジン音とは違った独特の音がしますので、これも明確に判別することができます。
これらを佐藤先生が必死になって海軍対潜学校で教えてたわけです。だけど一向に聞き分けられない兵隊たちに業を煮やして、たまりかねて作ったのが「艦船水中音の歌」。歌だけ聞いてると楽しいけどね、途中で転調なんかしたりして…。
ともかく当時はこのソナー要員の音感如何によって艦の命運が決まってしまうといっても過言ではない状況でした。だいたい艦橋の真下、音がもっともよく聞こえやすいところに陣取っていて、聴音機を0°の方角に合わせるとザァアアという波を切る音が聞こえたり、180°の方角に合わせれば自分の艦のスクリューの音が聞こえます。ですから、『レッドオクトーバーを追え』(1990年パラマウント映画。原作トム・クランシー。主演ショーン・コネリー)なんかを見ると、敵の真後ろ180°方向からピッタリ追尾して航行すれば、ソナーに感知されないので気付かれないで追跡できる…というシーンがありました。
もっとも…レッドオクトーバーには、ソナーを無効にしてしまう再新鋭のキャタピラエンジンというのが搭載されていて、その「無音のエンジン」で敵艦の追跡をくらます…という筋書きになっていましたが、あれも結局は音楽マニアの黒人ソナー員が、普通なら「海底火山の鳴動」か「鯨の鳴き声」かで処理してしまうような微かな音の中に人工の機械音を聴き出して、追跡に一役かう…というような展開になってましたね。