- 最初の(年月は不明)帽章は「中」の字であった。
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- 1886(明治19)または87年から1、2年間、江戸堀の仮校舎時代は蝶型の図1が使われた。
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【図1】
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- それが夜店で売られているのを一生徒が見つけて「校威を傷つける」と訴えて来た。
教員の林正治が京町堀の夜店で確認し、帽章を他の形に変えるのが良いと考えた。 林は兵式体操の担当者であり、陸軍の星章因んだ形を種々工夫したがうまく行かず、数学の森田専一に相談した。
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- 森田が一夜にして図2の形を作り林に見せたが、林がこの形の中へ2個の孔を入れてみたら正しく「中」字に見えた。森田も賛成し、校長も許可して決まった。
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【図2】
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